30歳で転職回数4回。追い詰められた、コイチさん・・・・。


第25回 USCPA CMレポート
【Guest】 あだ名 コイチさん USCPA

自己紹介

新卒で入った専門商社で経理を約4年。後に独立を志しカレーのココイチののれん分け独立プログラムに挑戦。カレー屋の店長として修行僧のような生活を続けるも、後に方向転換。

「30歳にして次は既に4社目という状況でして、なんかもう人生の負け組確定みたいな感じで、途方に暮れていた自分を思い出します。」とまで、精神的に追い詰められたコイチさん・・・

現在は日本国内に多数存在する子会社の管理、SAP導入、シェアードサービス導入、国内子会社へのIFRSの導入?など、最近のトレンドとなっている業務をされている方です。

Q&Aコーナー

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私の事前調査によると、今日のゲストはかなりユニークな経歴の持ち主です。そのユニークさを理解してもらうためにも、まずは大学受験まで遡って話してもらいたいと思います。

私は九州で生まれ育ち、大学受験で浪人するために上京しました。

母子家庭で予備校や大学に行く費用は自分で稼ぐ必要があったため、新聞奨学生(朝夕の新聞配達をすることを条件に、住居や食事や学費を提供してくれる制度)となって、新聞配達をしながら、受験勉強をしていました。

新聞配達は子供の頃からしていたので慣れていましたが、都会の配達は量が多くて激務でした。
お蔭で、なかなか勉強ができませんでした。

その後、パチンコ奨学生制度というものがあることを知り、そっちに移転します。以降はパチンコ店で働きながら勉強をし、都内の私立大学に入学しました。パチンコ店や奨学金や配膳の仕事などをしながら、学費も生活費も自分で稼ぎ大学を卒業しました。

なかなか、大変な学生生活でしたねぇ。ただ、それだけの苦学生でしたら、就職などはかなり順調だったのではないでしょうか?

「はい!」といいたい所ですが、順調なのは内定までした。

私は、中堅どころの中国関連の貿易会社からに内定をいただきました。ところが、阪神淡路大震災の影響で内定取り消しとなり、再び就職活動をすることになります。

何とか就職できたのが、半導体商社です。

ここで経理部へ配属されました。経理部は当初希望していたわけではありませんでした。経理部では厳しい上司が待っていました。この上司からコッテリと絞られる日々が続きます。

私は監査法人の対応もしましたが、監査法人の方も決して甘くなく、2年目くらいまで挫折しまくりでした。

ただ、3年目にIPO準備に関わりだした頃から、少し認めてもらえるようになり、仕事の面白さがわかってきました。

なるほど。その後、経理部門では、どのような仕事をして行くことになりますか?

会社を辞めることにしました。

仕事は面白くなってきたのですが、その頃人生の意味を考え直し、やっぱりサラリーマンじゃなくて独立したい!と思い、カレーのCoCo壱番屋(ココイチ)の独立支援プログラムに応募したのです。

以降2年間カレー屋の店長として勤しみ、独立直前まで頑張ったのですが、あまりに激務であること、そして独立したから儲かるわけではないという厳しい現実がわかり、サラリーマンに戻ることを決意しました。

ココイチはイマイチだったわけですね。それにしても随分と遠回りになりました。

この遠回りは、これで終わりません。
まず、サラリーマンへの復帰はそれ程難しいものではありませんでした。ベンチャー企業に入社することができ、そこで、マーケティングや経理の仕事をすることができました。しかしながら、肝心の会社の業績が悪化してしまい、転職後1年半でほぼ破綻状態になり、退職せざるを得なくなりました。

当時は、精神的に相当きつかったのではないですか?

はい、30歳にして次は既に4社目という状況でして、なんかもう人生の負け組確定みたいな感じで、途方に暮れていた自分を思い出します。

とはいえ、ある程度落ち込んでから、気を取り直し、転職活動をはじめました。

ほどなくして、シンガポールにも拠点を持つ商社の経理部に入ることができました。ここで、シンガポール関係の仕事やERP導入、IPO準備の仕事をしたのですが、この辺からなんとなく仕事がいい感じになってきました。

これまで下り坂だった私の就職人生がようやく底を打ったという感じです。

USCPA受験に取り組んだのもちょうどその頃です。仕事をしながら、会計の知識と英語の能力が全然足りないと感じたのが、受講理由です。

USCPAを取って、どのような変化が生じましたか?

USCPAに合格してみると、上司より会計関連の知識レベルが上になっていることに気づきました。そうすると、日々の仕事に刺激がなくなります。また英語をもっと使う仕事をしたくなったので外資系に行きたいと思い転職活動をはじめました。

そして、現在の勤務先に転職となるわけですね。

はい、その通りです。現在の勤務先は、欧州系メガウォーター(大手水道会社)です。

当時は日本法人を拡大する時期ということもあり、積極的に採用を行っていたため、入ることができました。

社長は外人で、最終面接は英語だと聞いていたのでビビっていましたが、その時社長がいなかったため、幸い全部日本語の面接で内定まで行けました。英語のスピーキングは全然ダメだったのですが、面接の時に「英語は大丈夫だよね。」と聞かれ「はい」と答えただけです(笑)

成長段階初期の企業でよくみられる風景ですね。具体的な仕事内容をお聞かせください。

当時は日本の水道関連の会社をどんどん買収している段階でして、それら子会社の管理をすることが私の主な仕事でした。水道関連だけに子会社は非上場で、今まで月次決算すらしたことがない会社ばかりなので、大変でした。

さて、具体的仕事内容ですが、
①月次で子会社の決算をレポーティングパッケージ(連結会計業務において、各子会社や関連会社の決算データを収集するための帳票レイアウト、またはそれらを含めたデータ収集のためのアプリケーション)に入れる、

②子会社の間接業務を本社に統合してシェアードセンター化する(つまり、子会社の間接業務を削減する)、

③子会社にSAPを導入する、といった内容です。

なかなか、今時っぽいお仕事ばかりで楽しそうですね。今の会社で大変な所は何ですか?

本社と日本の子会社とのレベルのギャップでしょうか。
会社自体は欧州の大企業なので、求められるレベルはかなり高いです。しかしながら、買収した子会社は先程申し上げました通り、日本の水道会社、ドメスティックな会社でして、税務決算しかやったことが無いレベルです。したがって、この2つの組織のレベル調整にかなり手間がかかります。子会社の経理に「○○を提出してください」というと、「何でそんな面倒臭いことをやらなくてはならないのか?」と応酬されるので、○○を作成する意義から遡って説明するようにしています。

今の会社における英語の使用頻度はどのようになっていますか?入社面接時点では、英語によるトークは全然ダメだったと伺っていますが。

メールベースでは、英語の利用は毎日です。電話も度々あります。
入社面接で「英語は大丈夫」と言ってしまった手前、私の発言が虚偽にならぬよう、自分の実力を発言内容に合わせる努力を大急ぎで行いました。現時点でキャッチアップできたとは言い難いですが、嘘にはなっていないようです(笑)。因みに、最近流行っているSkypeを使った英会話で勉強しています。また、本社とミーティングを行う機会があります。もちろん使用言語は英語になりますが、私の場合、かなりの準備をして臨むようにしています。相手も英語が母国語としていないということもありますが、この事前準備により、会議は乗り切ることができます。

会計処理などで、わからない場合はどのようにしていますか?

その都度調べるだけです。監査法人の人だって、聞いた事に即答する人は少ないので、分からない事を恐れる必要はないと思います。

経験の幅を広げていくには、どうすればいいでしょうか?

まずは、自分の担当の仕事をしっかりすることが大事です。自分の仕事が効率化でき、余力ができたら、進んで他人の仕事にも手を出していく、という形にすればいいでしょう。そうすれば与えられる仕事の幅が広がっていきます。

認めてもらうにはどうすればいいでしょうか?

相手の期待を超えるように心がけている。社長や上司が欲しがっていそうなデータがあったら、こっそり自分で準備しておく。そして求められたときに「こんなので ですか?」みたいに出す。実際にこれをやってから社長から指名で仕事が回ってきたりするようになった。

キャリアアップのコツというものがあれば、教えていただけますか?

私は、できないことも、できないと言わず、「勉強してやります!」と言うようにしています。もっとも、入社の時には「英語はできる」と発言してしまいましたが。

最後に今後のキャリアについて、どのようにお考えになっているか教えてください。

いつかは世界で活躍する日本企業で働いてみたいと思っています。そのためには、CFO的な仕事を経験している事が必須だと思います。したがって、CFOを目標としていきたいと考えています。
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